『きのね』 宮尾 登美子著

『きのね』 宮尾 登美子著


市川海老蔵の、「顔」、が好きである。笑


時にやんちゃすぎる、「心」と「身体」の方は、
まったくもって関心がないけれど、
あの悪趣味スレスレの妖艶な面構えには、
ギリシャ彫刻にも匹敵するような、
造形美特有の魔力があるんじゃないか。


というようなことを、満を持して、ことあるごとに、
周囲にカミングアウトしているんだが、
共感してくれる人が、ほぼゼロなことに驚いている。笑


ま、そんなことはさておき、この『きのね』。
いわずと知れた11代目市川団十郎(海老蔵のおじいちゃま)の半生が、
宮尾登美子の筆で読めるなんて、
じつはつい最近まで知らなかったのは不覚でした。


いやしかし、芸の道が険しいのはわかるとしても、
それを支える家族のなんと、過酷なことか。
凡人にはまったくアンベアラブルな世界で、
甘ちゃんの私には、絶対にムリ!というのが
よおくわかりました。


しかし、こんな不純な動機を抱えつつ、
歌舞伎デビューしちゃうなんて、やっぱダメかなぁ?笑


きのね(上) (新潮文庫)

きのね(上) (新潮文庫)

きのね(下) (新潮文庫)

きのね(下) (新潮文庫)

和田本3冊

『新学歴社会と日本』 和田秀樹

『「新中流」の誕生−ポスト階層分化社会を探る−』 和田秀樹

『「反貧困」の勉強法−受験勉強は人生の基礎学力−』 和田秀樹

『わが子を東大に入れる本−年収300万円家庭でもできる!−』 和田秀樹


林真理子びいきだからというわけではないが、
NHKドラマ10「下流の宴」がおもしろい。

現代の風潮を凝縮させたベタなドギツイドラマなのに、
その根底にあるのはなんぞや?との強い衝撃を抑えきれなかった。


ドラマの最後のテロップに特別監修、和田秀樹とある。
ああ、なるほど、と、名前だけは知っていた著者の本を
この際、一気読み。


いやあ、とってもおもろかったワ。
基本、受験指導の人だから、なんか、ものすごくリアル。


なんとなくそーなんでしょ?ということが
はっきりとそーなんだ!とわかりました。
もちろん、知らなかったこともたっくさん。


世の中はいつだって、競争社会でなかったことは一度もないのに、
競争の仕方を教えてくれるのは、今や、
中高一貫の私立進学校だけだという皮肉。
受験戦争が緩やかになると、
勉強する子はますます勉強するし、
勉強しない子はますます勉強しない。


この2極分化が危ないんだそうだ。
何の努力もしてこなかった報いを受けたのだという
アメリカ型の価値観が浸透しちゃうから。笑


受験戦争が厳しかったベビーブーマー世代は、
みんなが受験に向けて一生懸命勉強していた。
家庭の事情で進学できなかった子も多かったし、
努力して勉強した子でも一流校へ進めない子がたくさんいた。
そんな時代の高学歴エリートたちは、まわりもそれなりに
勉強していたことをよく知っているので、
三流大卒や高卒者の人間を、努力しないで遊んでばかりいた
などと考えることもなかったし、
勉強ができないから学校へ行かないのではないということも
よく理解した上で、しっかり弱者に同情することができた。


けれども現代では、勉強する人だけが勉強して、
勉強しない人はまったく勉強をしていない現実を
小学生くらいの時期から目の当たりにしてしまうので、
そういう弱者に温かいものの見方ができなくなっているらしい。


そもそも高学歴エリートにとって、自分がそうなりえたのは、
生まれながらに好条件の中にいたにもかかわらず、
自分は勉強したという「本人の努力」があったからこそという、
ある種の勘違いをしてしまうらしい。


本人の努力ばかりで獲得したものではないのに、
他の階層に比べて「実績主義」に傾く傾向が強くなると、
これは、社会にとって、たいへん危険なことであるという。
学歴エリートが増え、こうした人たちが
日本を動かしていくようになると、日本の将来は危うい、と。


競争社会にすると弱者に冷たい社会になると主張する人がいるが、
むしろなるべく多くの人間が競争に参加した方が、
負けた人間をかわいそうと思える大人を生みやすいと
私は信じている.....という和田秀樹の論、
受験産業の人だからという前提をなしにしても、
昨今のニートやフリーターの問題を考えると、
一理あるかも、と思わせる。



他にもいろいろ、「受験」、「学歴」、「中流」というキーワードでくくられる諸説には目からウロコでした。

日本人はもともと「知」に対する憧れの強い国民


よく、江戸時代の日本人の識字率は世界一だったと言われているが、
史実ではそうではないとか。


江戸時代の識字率1位は、なんと、フィンランドだったという事実、意外と知られていない。
世界で初めて義務教育法が制定されたのがちょうど江戸時代の頃のフィンランド


けれどもフィンランド識字率は、聖書の読み書きができるようにとの国からの強制のなせるわざであったのに比べて、日本の場合は、自発的に民間教育である寺子屋に自腹で通ってその識字率を誇っていたことを考えると、やはり驚嘆に値する。
日本人はもともと「知」に対する強い憧れのある国民なのだそうだ。

日本は学歴社会という幻想VS国際社会は超学歴社会という現実


フランスならグランゼコールアメリカならハーバード、スタンフォード、MITまで行ったんなら、その上のビジネススクールロースクールにまで行かないと、旧制高校は出ているけど帝国大学にはいっていない扱いなんだそうだ。


また、スタンフォードやハーバードの年間学費が500万前後(!?)なのに対して、東大は80万程度。日本は決して排他的で非業な学歴社会ではまったくなく、むしろまだまだ平等で公平な学力社会、今ならまだ努力してもなんとか這い上がれるかもしれない生暖かい社会である。
なのに、下半分の若者がまったく勉強せず野ざらしになっている日本の教育政策は、いったいどういうことか!と、和田先生、憤怒!笑

アメリカは世界の例外


ヘンリー・フォードがせっかく作った古き良きアメリカの中流社会を崩壊させて、ITと金融で立ち直ったアメリカに、日本が学ぶべきところはひとつもないゾ!と。笑
NECの98とかトロンとか、ITに関しては日本もそれほど劣っていたわけではなかったのに、結局はウィンドウズを導入せざるをえないようになってしまったのは、世界戦略を狙うアメリカの政治力に負けた部分が大きい。


金融にしても、製造業を守るそれまでのドル安政策を突然やめて、ドル高政策に転じることで事実上、製造業を切り捨ててしまい、ドルに投資させて世界中のお金を集めて経済を活性化させて金融業を強くする経済政策に転換したのも、やはり政治力。
自国の通貨を自分で決められるアメリカだからこそ。
日本がその真似をしても、救われる保証はないし、中流を崩壊させるなんて、もってのほかだそうで....。


アメリカが貧富の差を拡大させながらもいまだ競争力が強いのは、金融やITで世界のデファクトスタンダードになれるという強みがあるから。
つまり商品の強さによるものではなく、政治力によって金融やITで強みを発揮できる産業が強いという例外的条件をもっているからだと考えたほうがよい。


そもそも、製造業を手放すとはどういうことか。


「多少大きくてもよい」「多少つながりにくくてもよい」「現状でいい」と消費者が低水準で満足してしまうこと。消費者の要求水準が低い国では良いモノは作れない。
北欧やスイス、台湾やシンガポールの経済の競争力が強い(2006年現在)のは、以前より中流社会化しているからであり、貧富の差を拡大させて成功しているのはアメリカくらいのもの。
日本は単純に、グローバルスタンダードなどという言葉にだまされないようにしなければならない....ええぇ〜!。笑

貧富の差が拡大するとヨーロッパと中国が儲かる


デンマークスウェーデンの高級家具や車、スイスの時計やファッションブランドなどに見られるように、上質な中流層向けの製品を作る国々は、中流がお金を持っていて、中流層が厚い国である。貧富の差が激しい国はなかなか中流向けの良い商品は作れない。中流層が崩壊して富裕層が大量に生まれるとヨーロッパのブランド物を買うから、フランスやイタリアの経済が潤う構造になっている。ヨーロッパの伝統産業のしたたかさは、そんな構造をつくっているところにある。


残念なことに、日本のお金持ちは日本製品を買わない。
アメリカのお金持ちもアメリカ製品を買わない。
一方貧乏な人は中国製品を買う。


中流階級向けの百貨店はダメになりディスカウントストアが勃興してくる。
国民が貧乏になるとものを安くしないと売れなくなり、そうすると国内の賃金でもまだ高いということになり、外国でモノを作らせることになって悪循環が起こる。
日本のブランド戦略が失敗つづきなのは、日本の品物は品質がいいと思われていたのに安売り競争に参加せんがために中国や東アジアに生産拠点を移し、ブランドイメージを低下させてしまっているところだ。
「中国でも作れるものを作っているのか」と思わせてしまうなんて、ブランドイメージへの戦略がまったく感じられない.....。


最後に一番驚いた。

日本人はひがみの強い国民性


結局、日本がいま考えなければならないのは、実体経済で勝負をする国にするのか、時価総額主義でやるのか、ということだそうだ。

どちらを選ぶべきかは明らかだが、今の日本は、株価の時価総額を上げるためにキャピタルゲインに対する課税を安くしていることなどを考えてみても、株価で実態経済を計ろうとするまちがった方向に向きつつあるとか。


アメリカでは、ビル・ゲイツみたいにうまくいった人が出たら、その人に引っ張ってもらおうと思っってさらに応援して強くする国民性みたいなものがあるが、日本人にそんなのはないんだからやめたほうがいいって!笑


日本人はひどく嫉妬心の強い国民性があるために(笑)、差を付けることでマイナスのエネルギーが生じる危険性が大きいそうな!
大卒の初任給がそうでない人の初任給とほとんど変わらなかったり、終身雇用制とか、年功序列とか累進課税などからも明らかなように、経済心理学的見地から言って、日本人のやる気は、意外にも格差が動機付けにはなりにくいんだそうだ。


階層分化社会によってより働く意欲が増す人が多いのか、努力するとちょっとした差はつくけれど大きな差は付かない社会の方がより多くの人のやる気を高めるのか、どっちなのかということをよく検討する必要があるのだそうだ。


楽天ソフトバンクが大金持ちになったのは、本業の利益以上に自社の株価の時価総額を大きくする方法で収益をあげただけで、多くの企業経営者たちにとっては、研究開発や製造なんて馬鹿馬鹿しくてやってられないと思わせてしまった。ホリエモン村上世彰が許せず、みんなで引きずり落としてしまおうという傾向が強かったり。笑


そもそも、金融やITで経済を引っ張るには、日本の政治は弱すぎるだろう......。


国というのは、貧しい人が少なく、みっともない人が少ないほうが、外国から見ると良い国に見えるものだ。競争力もその方が高まるはずなのである。イチローメジャーリーグでいくら活躍したところで、日本の野球レベル全体があがったことにはならない。たった一人のスーパースターが出たことで全体にどんな意味があるのかと考えるべきではないか。


国家の問題、社会の問題を個人の問題に還元して競争社会型にしようとしているが、むしろ集団全体のポテンシャルを考える新しい新中流社会を目指すべきではないだろうか......云々、というのが和田秀樹の総論。


受験のカリスマなりに、
学歴は遺伝するかもしれないが
学力は遺伝しないんだから、
もっと教育を充実させて
「負け組」をたくさんつくらないように...との願いには
こんなにも複雑に絡み合う大人の事情(笑)があったわけですね。


いやあ、勉強になりました。
ありがとうございました。笑



下流の宴

下流の宴

新学歴社会と日本 (中公新書ラクレ)

新学歴社会と日本 (中公新書ラクレ)

わが子を東大に入れる本

わが子を東大に入れる本

『六条御息所 源氏がたり 二、華の章』  林真理子著

六条御息所 源氏がたり 二、華の章』  林真理子


いやあ、びっくりしたな。
光源氏って、ただの色ボケのまんま一生を終えてゆく(笑)んだとばかり
思ってたけど、実はそうではなかったのね。


須磨流しに遭ってからは、俄然、朝廷内の権力闘争にも
果敢にチャレンジしてゆくのね。
そんで、渡り廊下から偲べるよういくつもの囲い部屋をつなげた
一大御殿まで建てて、合理的な愛人生活もエンジョイしちゃうのね。
これで雨の日も大丈夫って、ちょっとちょっとぉ〜!


しかも、評判のべっぴんさんを屋敷に入れて、
それに群がってくるあの手この手の男君たちの恋文を吟味する
変な趣味まで増えとるがな。


平安時代なのに(笑)、
結構なエンターテイメントで楽しませてくれます。
次の巻が、はやくも楽しみ。


六条御息所 源氏がたり 二、華の章

六条御息所 源氏がたり 二、華の章

『グローバルキャリア ―ユニークな自分のみつけ方 』 石倉洋子著

『グローバルキャリア ―ユニークな自分のみつけ方』石倉洋子著


前著の『戦略シフト』を読んでいなくても、
「オープン化」とか「ORをANDにする」などの言い回しで
若いビジネスパーソンを牽引してゆこうとするのには、
なるほど、説得力がある。


時代がそんなんなっちゃってるからそーであるしかないのだろうが、
私もあと20年若かったら、どーなっちゃってたのかしらん....
な〜んて、自分と向こうをしっかり線引きした上で
読みふけっている自分が、なんか、情けない.....?


こんなことをはっしと気づかせてくれるという意味では、
とってもためになりました。
まだまだ、老成するわけにはいかんがな。


グローバルキャリア ―ユニークな自分のみつけ方

グローバルキャリア ―ユニークな自分のみつけ方

『利休にたずねよ』 山本 兼一著

利休にたずねよ』 山本 兼一著


そこにある、「美」、の深遠を見出すことで、
人は尊敬され賞賛を浴び寵愛も受ければ、
そこにある、「美」、の何たるかが判らないばかりに、
軽蔑され貶められ下司の烙印を押される。


なんや、その美ぃっちゅうもんは、えろうごりっぱなもんやのぉ〜う!
と茶化してみたくなるのは、なにも私が、愚物ゆえでもなかろう。


何が美しくて、何がそうではないか。
いつの時代でも、こういう判定方には
ある種、特権的な香りがするからかもしれない。


これが完璧な美です、といって、鼻先に突きつけられると
なんだか息がつまってきて、そうかね、わしゃそうとも思えんが、と無下に反論したくなるのが人間の性。
そんなもんより、ほれ、こっちを見なはれ。
この一見ブサイクなこのほころび、
おや?っという、一瞬のスキを突かれて、
見るものに静謐な感動を起こさせはしまいか。
なんてね。


エルメスよりゴヤールの方がイケてると思うしぃ〜、
BMよりあえてのMGのほうがちょい悪で小洒落てるっしょぉ〜とかいうような議論にいきなり、セレクトショップの1点ものこそ一期一会を感じないかね、と切り込み、フリマで見つけたハクション大魔王の壺こそ、昭和のへうげものであろうぞ!
とたたみこんでゆければ、あなたもいっぱしの平成利休。


俗悪な派手好みだが、それも極めれば脱俗、超俗の境地に通じる、そんな秀吉の凄みを見せられて、うなるしかなかった利休と秀吉の美意識対決、今の時代ならさしずめこんな感じ?


ただ、現代では、KYと呼ばれて蔑まれます。笑

利休にたずねよ

利休にたずねよ

『シェア からビジネスを生みだす新戦略』

『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』

レイチェル・ボッツマン、ルー・ロジャース著


筆舌に尽くせぬほど感動したので、感想は、書けません。
なんてうそ。近日投稿予定ということでご勘弁を!笑



シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略

シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略

  • 作者: レイチェル・ボッツマン,ルー・ロジャース,小林弘人,関美和
  • 出版社/メーカー: NHK出版
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『吉原十二月』 松井今朝子著

『吉原十二月』 松井今朝子

スキスキ大スキ花魁話。


なんだけど、ストーリーの面白さよりも、この作家さんの作品は、
江戸言葉の口調やリズムがめっぽう心地よい。


話がおもしろいのか、語りがおもしろいのか、
ニワトリが先かタマゴが先かみたいな話で申し訳ないが、
たぶん、話がおもしろいからリズムよく読み進めているんだと
勝手に思っていたが、しばらくたって感想を書きつけようとしてびっくり。


ええ〜っ!ストーリーがぜんっぜん、思い出せない!


いやあ、話よりも、語りのリズムが私にはドンピシャだったってことで、すごい発見をしたような気がするが、ある意味、ショック。


そういえば、私、音楽は、メロディーは記憶できても、
歌詞がまったく覚えられない子でした。笑


吉原十二月

吉原十二月