『フリー〜(無料)からお金を生みだす新戦略』 クリス・アンダーソン

『フリー〜(無料)からお金を生みだす新戦略』 クリス・アンダーソン

たしかに、なにかが無料!になると、人は一瞬、
懐疑的になりながらもちゃっかりそれを懐へいれてニンマリするし、
ひととき、得をした気分にひたりながらも、しばらくすると、
たいして価値もなかったわいと、ごみ箱にポイする。


こんなことを幾世代も繰り返してきたはずなのに、
ウェブというツールの出現は、これを牧歌的な無料交換の場にしておいてはくれなかった。
今やフリーは、有料のプレミアム版に対するフリーミアム(無料版?)というひとつのカテゴリーにまでなって、ウェブにおけるビジネスモデルの先端を颯爽と走っているんだそうな。


いるんだそうなって、なんだか他人事みたいですが、
自分だって、公私ともども、この恩恵にどっぷりつかって
いまさら足を洗えないよな状況、
カッコつけてみたところで何も始まりもせんでしょうに。
えぇえぇ、タダメシ、食らってますよ、私だって!それが何か!笑


そもそも、この、「無料」という概念、
これは相当にいかがわしいものであると、
冒頭から説いてくれていて、好感が持てる。笑


タダなものはムダなものと考えられる一方、それがタダであるばかりに必要以上に価値があるような気にもさせられてしまうのが、人間の本性であるならば、ことほどさようにタダ=無料というものは、人の感情をアンビバレントに操る独特の魔力をもっていることになる。


この「魔力」は、ズバリ、「恐れ」に起因しているとか。


そして、ムダに対する罪悪感も、たっぷりあったりするから、
無料と有料がうまく連携できたとき、
そうした心理はすべてカバーできてしまうのだ。


しかも、このフリーという無償労働、なんと、
これも意外に人間の根源的なところに根があると説く。


なんでも、人間の願望の中で最も上位にあるという「自己実現」、意外とこれが仕事でかなえられる人はそう多くはない(笑)ということを前提にした上で、だからこそウェブの急成長は、人々が創造的になり、何かに貢献し、
何かの達人であると認められることに幸せを感じたいがための疑いようのない無償労働によってもたらされた。
つまり、こういう非貨幣的な生産経済が生まれる可能性は数世紀前から社会に存在していて、社会システムとツールによって完全に実現される日を待っていたところに、ウェブがそれらのツールを提供するや、突然に無料で交換される市場が生まれたのである、と。


趣味でその道をきわめて、それを分け与えてくれる人が
たくさんいるわけである。


とはいえ、そんなフリー市場の弊害も、やっぱりちゃんとあったりする。
人々が欲するものをタダであげて、彼らがどうしても必要とするときにだけ有料で売るビジネスモデルは、時に、勝者総取りの市場を生んでしまう。


いかにも。


でも、確かにフリーはまちがいなく破壊的だけれども、その嵐が通ったあとに、より効率的な市場を残すことが多いから、やっぱりいいんだと肯定してきたあたりで、私、へぇ〜って目がくらみました。
なんか、すんごい楽天的でオプティミスティック!
これこそがアングロサクソン的思考経路というものなのだろうか。
野獣ですね。


そんで、次のよなくだりが出てきた時点で、私とうとう、しかられちゃったよーな気がします。
もうそのまま引用しちゃう.....

「もしも自分のスキルがソフトウェアにとって代わられたことでコモディティ化したならば、まだコモディティ化されていない上流にのぼって行って、人間が直接かかわる必要のある、より複雑な問題解決に挑めばいい。」


「フリーは魔法の弾丸ではない。無料で差し出すだけでは金持ちにはなれない。フリーによって得た評判や注目を、どのように金銭に変えるかを創造的に考えなければならない。」


「失敗の原因が自分の貧困な想像力や失敗への恐れにあるのに、それをフリーのせいにする人がいることだ。」


「あるモノやサービスが無料になると、価値はひとつ高次のレイヤーに移動する。そこに行こう。」

はい、おっしゃる通りで。笑
「ぼさぁ〜っしてたらアカンでぇ〜、
そんなんしてたらワシら食うてまうでぇ〜」っていう
獣の嘶きが聞こえてくるよなしないよな....。


時間に余裕のない中で、
必要に迫られて一気に読んだからなのか、
読み終えたあと、脳ミソがハァハァと、
息切れしてるような気がするくらい、
筋肉質な思考経路につきあわされて、
しんどかったけど、刺激的な一冊。


でも、いまや、どーでもいい、つぶやきの、ダダ漏れ市場が
台頭してきてますけど、おぬしはこれをなんとする?


フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略

フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略